Better education for children in Nepal

ネパールの子どもたちへ よりよい教育を

 

アジアの極貧国ネパールに広がる広大なヒマラヤ山脈に惹かれて、ここネパールに通い始めて40年近くになる。

 

当初、山仲間のカメラマンとドクターそして当時サラリーマンであった私と3名で、長い間安い賃金で大きな山の荷物を運んでくれたり、協力してくれたネパール人に対し何か「お礼」をと考え、学校作りに没頭。その内の一人(ドクター)がネパール人の子供を養女にし、その家族の住む地域で「禿山」に植林作業を始めた。

 

一方、私はと言うと、25年ほど前から、学校を作ってもその学校に通えない・通わない子供たちが居る事に注目し、なぜ?学校に行けないのか?なぜ?学校に行かないのか?を数年かけて聞いて回った。

 

結果は、お金がない・親の手伝いで子供の暇がない・学校が嫌い・必要性が分からないなどの理由が明らかになった。何より、彼らには現金収入を得る術がなく(仕事がない)貧困を余儀なくされている、と言うのが実態である。会社生活をしながら「如何に支援」すれば子供たちが学校に通える環境になるのかを考える日々が続いた。これが会社を退職する20年ほど前のことである。

 

2004年の12月末、退職後すぐにネパールに渡り、子供たちが全員「義務教育」とする「クラス10まで勉強」が出来る環境を作り、「その親の仕事を作る」のを一緒に考え支援し「自立」を目的にした活動をゆっくりとはじめた。人の考え方を変える事は、日本人同士でもとても難しい。ましてや世界でも有数の極貧国とされるネパールでは、30から40もある民族の独自の考え方や未だ消えないカースト制度など支援を妨げる要因は幾らでもある。

 

手を抜いては出来ない「自立支援」では、何時でも支援先に通える拠点となる家が必要であり、常駐しなければ彼らの考え方を変えることなど到底できない。同じ住むのであればヒマラヤを望める場所がいい事から、支援先に近くネットの設置が可能な場所を探し、ここ首都カトマンズから東へバスで40分くらいのサンガに、ネパールに来られる多くのボランティアのみなさんが、相互に情報交換が出来るゲストハウス、銀杏旅館を持つに至った。

 

わたしの支援活動を地元で支える岐阜ネパールの会が2006年に発足した。これまで多くの方からいただいた寄付や助成金で、一人でも多くの子供たちが学校に通える暮らしが出来るよう支援している。

 

 この活動は、つらく長い闘いであるが、ここ大自然のネパールで暮らすことで、わたしは癒され、ネパールの人々からエネルギーをいただいている。

  

 

         (直接連絡される方は)→ ネパール在住 筋田雅則                                    m_sujita♪hotmail.co.jp  (※「♪」記号を「@」に置き換えて下さい。)